ナツツバキ
ナツツバキは宮城県以西に自生するツバキ科の落葉高木です。 ツバキに似た白い花は1日花で、朝に開花し夕方には落花します。
梅雨空の下、花弁とオシベがくっついたままのメシベの抜けた花が、井戸蓋の上にたくさん落ちていました。
ナツツバキ(夏椿)は別名シャラノキ(沙羅の木)とも呼ばれています。 沙羅(特に2本がくっついた沙羅双樹)は仏教における3大聖樹の1つ(注1)ですが、温帯に自生するナツツバキとインドの沙羅が同じわけはありません。
インドなどで見られる英名 Sal-tree(これに沙羅の漢字をあてたようです)は、学名 Shorea robusta で、ツバキ科とは全く別のフタパガキ科の高木で、花は細かい花が集まって咲き、ナツツバキの花とは全く違います。 あえて似ている所を探せば、樹皮が滑らかなところぐらいでしょうか。
日本の仏教は中国から伝わっています。 私は、仏教の広がりと共に、その地に自生する似た木が沙羅の木とされ、それが繰り返されるうちに、現地とは全く違う木になってしまったのではないか、と考えています。
しかし、ナツツバキの1日しか持たない花は、人の世の無常を“理解”させてくれる花として、沙羅の木として日本人の心にマッチしたようです。
平家物語の冒頭が次のような書き出しで始まることは、あまりにも有名です。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
(注1 Sal-tree=沙羅 について)
釈迦が涅槃に入ったのが沙羅林の中で、東西南北の四方にそれぞれ2本の沙羅の木(つまり沙羅双樹)があったとされ、これら東西南北の双樹は、それぞれ常と無常、我と無我、楽と無楽、浄と不浄のシンボルとして考えられています。
Sal は、サンスクリット語のサーラ( sāla )に由来します。 サーラは本来「優れた木」を意味し、チーク、ヒマラヤスギと共に、インドの3大有用樹です。 ちなみに学名の属名である Shorea は人名に由来すると考えられており、sāla と似てはいますが、無関係のようです。
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コメント
>ナツツバキ(夏椿)は別名シャラノキ(沙羅の木)とも呼ばれています
全く別モンなのに、お寺に行けば・・・
それで、いつもこんがらがってしまいます。
井戸蓋の上にハラリと落ちている様子
とても風情がありますね。
ところで、京都のお寺でちょうど今の時期
一つの木の根元近くから二股に分かれているのを
沙羅双樹として「沙羅の花を愛でる会」って。
投稿: わんちゃん | 2010年6月20日 (日) 18時18分
シャラノキ(サラノキ) 沙羅の木
中村憲吉の短歌に
『 山でらの 夕庭にしける しろき花
あめに打たれし 沙羅の木のはな 』
また、北原白秋の短歌に
『 朝咲きて 夕にはちる 沙羅の木の
花の木かげの 山鳥の糞 』
なんていうのもあります。
投稿: S.ひでき | 2010年6月20日 (日) 19時11分
わあ、沙羅の花!
いいですね。
真っ白な花は、汚れを知らないままに一日で花の命を終えるのがいいのかもしれませんね。
大好きな花です。
投稿: ひとえ | 2010年6月20日 (日) 23時08分
わんちゃん、2本立ちになっていれば双樹ですから、「日本の」沙羅双樹として愛でればいいのじゃないかと思います。
S.ひできさん、短歌の世界でも白さや1日花である特徴が取り上げられているのですね。
ひとえさん、たしかに落ちたばかりの花は、まだしっかりしていて、「汚れを知らないうちに」落ちてしまった感がありますね。
散り際の良さを愛でる心はサクラを愛でる心と共通な所があるのかもしれませんね。
投稿: そよかぜ | 2010年6月21日 (月) 07時29分